triplecare163の日記

祖母、母、そして2人の子供のケアをしています

炊飯器にお米5合

祖母が退院して1週間

 

 

入院中、3食食事が整ったので

4キロほど痩せて帰ってきた祖母。

 

体が少し軽くなったので、

立ち上がりの動作がよくなった様子。

 

 

普段はとにかく、

米、米、米の人で

 

少しでも炊飯器のお米が減ると

例えば晩御飯用に13時から米を研ぎだす。

 

私や子供たちは一緒に食事しないのに

 

ちょっと様子見に行って

お茶飲んで帰るから、と伝えても

 

 

さっと立ち上がり、

お米を4~5合炊き始める(笑)

 

 

いつ行っても余ったお米がテーブルでかぴかぴになっていて

 

もったいないから、

少しずつ炊くといいよ、と

 

炊き立てがおいしいから、

2合ずつ炊こうか、と言って(ポジティブな声掛けを心掛け)

 

私が2合をセットして炊飯器の予約ボタンをおしていたら

 

 

こんなちょっとで足りないやろ!!と

 

また追加して米のとぎ直し(笑)

 

 

お米がもったいない、のはもう仕方ないにして

 

認知症になってから体重が10キロ以上増えたのが大問題で

 

 

心臓に持病をかかえているため、

体に負担がかかるとまずいのに、

 

病院の先生からも叱られて

悩んでいたら

 

今回入院してから減量できたので

 

少し安心していたら

 

 

この前会いに行ったらまた米を5合炊いていた(笑)

 

 

頭抱えるー(笑)と思いつつ

 

 

 

母は、それを見て

いつも怒る。

 

「こんなん誰が食べるの!!!」と言って

 

祖母と母はいつもケンカしている。

 

 

そんなときにある方のツイートを見ていると、

 

 

 

 

認知症の方の行動は

「なぜ」を知ることが大切だ。

 

理由をしって、感情に気づくことで

不可解な行動も理解しやすくなる、と。

 

 

認知症になっても、

子や孫を想う親心は残っていて

 

その思いが

 

一見周りからみたら変わった行動を起こし

不可解に思えることもある、と。

 

 

 

そうかーーー

 

祖母は

「食べなさい食べなさい」って

 

いっつも私たちに言ってたなーと

 

少し食べると

まだいる?おかわりは?と

 

何回も聞いてきて(笑)

 

 

祖母の家に泊まった時は

 

夜寝る前に

うどんを作ってくれて

 

腹減るよ、食べなさい、と

無理やりまた食べさせられていたなーーーと(笑)

 

 

いつも

 

私が祖母と一緒の時は

食べ物であふれていて

 

正月も

お盆も、

 

GWなんかも
どこかに出かけた帰りの高速のSAでもアイスなんか買ってもらったり

 

祖母はいつも何か食べさせてくれていた。

 



気づいたときには
父が働かなくなり、家にお金がなくなって


親と行動するときは

社会人になった私が払うのが当然みたいになってきても


祖母だけは私に食べさせてくれて


おかずを持たせてくれたりもしていた。



米5合


食べすぎはそりゃダメなんだけども(笑)

 

 

 

祖母が

 

私たちに食べさせたい、

 

 

それ以外何もない単純な感情から

 

ストレートに「米をとぐ」という行動にうつし

 

 

ただただ

 

おいしいよーと

 

食べてもらいたい、そんな顔を見たい一心で

 

 

米を研いでいると思ったら

 

 

母は怒ってばかりいたけど

 

 

私はそれを想像したら泣けてきた。

 

 

 

 

戦時中食べられない時代を生きてきて

 

結婚したら

祖父の兄弟が多すぎて自分が貧困に陥ってしまい

きっと食べられていなくて

 

 

 

自分自身のその経験をさせたくない一心だったんだろうなーと。

 

 

おかげで

 

私たち孫3人はみんな体が強くて(笑)

 

 

夜になったら

 

なんか食べたくなるね、と

つまんだりして(笑)

 

 

よく食べてよく動くので

デブではないにしろ

がっちりしている(笑)

 

 

 

理由をしって、感情に気づくことで

不可解な行動も理解しやすくなる

 

 

 

理解するどころか泣けてきたわー

 

 

 

ばあちゃん、

たくさんご飯食べさせてくれてありがとう。

 

 

 

 

毎日5合研ぐのはいけないけど

 

 

炊飯器を一緒に見て

 

お米いっぱいあるから大丈夫だね、と

 

 

 

そういう声掛けを

これからしていこうと思った一日だった。