言い訳にしかならない
何かを始めたら
何かには終わりがあるので
今日はちょっと完了感を自分に与えるために書いておこうと思います。
2018年のこと
1歳すぎの歩きだした後の子供がどれほど大変かをまだ知らなかった私は
まだ歩いていない娘と穏やかな日々を過ごしていて
はー毎日子供と過ごすのもいいけど
なんか時間に余裕がありすぎるーと
隙間時間でなんかできないかなーと考えたりしていました。
そんなある日
元上司が
自分の友人が会社をしていて、事務処理ができる人を探しているんだけども
在宅でOKだからできないか??と言ってきたのでした。
私はすぐに飛びついて
やります、の一言返事で
それから今日にいたるまで
他の仕事もありながらも
4年以上続けてきた。
途切れたことはあったし
それでも
コロナで仕事が増えてきて
子育てと
家族の色々と
本当に忙しくしながらも
子どもだけとしか話さない日もある中で
大人や社会とつながり、
しかもお金をもらえるというのが自分にとってとても良いことだったと今は思う
それでも
子どもは日々成長し
2人とも通園するようになり
1人時間もそれなりにできてきた中でも
仕事量は減らず
1人で黙々と仕事を処理していく日々が続き
夏頃にパタリと仕事がなくなった。
よくわかんないけど(コロナ特需のようなところがある仕事だった)
私の中でも
ちょっと不満がたまってきた時期だったので
ある意味で
何か事件が起こって嫌がらせを受けたりして終わるよりはよかったかなーと思った。
今思えば
その人を稼がせるための仕事ばかりしていて
どんなに処理しても数万円にしかならないで
(寝ずに仕事しても10万にならない)
それでもいい、と自分でそう思ってしまっていたのが悪くて
良心的に
ここまでしておいたら相手が助かるだろうということまでしていたら
そこまでするのが
気づいたら当たり前になっていたりしていたけれども
子どもの事情で普通の会社なら首になってるようなコロナコロナの日々だったし
母も祖母もケアしなきゃならない私には通勤やオフィスにずっといる、ということが困難だったりもするので
まぁ、その時期の私にはよかった、と
今はそういう結論で
終わらせることにしました。
その方は、
今から◎◎を始めます、とか
今年もお世話になりました、とか
今月もありがとう、とか「言葉がない人」で
挨拶が大切と思ってたり
節目を大切に生きてきた私としては(めちゃ体育会系)
なーんも挨拶もない(が、高圧的とかもない)のに
こちらは、我が社のスタッフ、とか私が対外的に紹介されていて
え、今私ってなに?(都合のいい人?え?みたいな)
何とも変わった方だったので
これまでどんな思いで私が仕事していたかも知らないし
気づいてもいないのでしょうから
どれだけの支援を失うのか残念ねーってなってますが
1つ終わりがきたら
1つ新しいことが始まるかもしれないので
私は次はそこに何を見出すのかを
今じっくり考えている所です。
ただ、自分が捨てられたとかそういうのはなくて
気づいたら子育てしながらも
社会人歴が4年さらに追加された、というのが私には残っていたので
明らかに知識は増えたし
お金に換えられない経験をさせていただいた、と
感謝の気持ちでいっぱいです。
このブログを立ち上げた当初の目的である
ダブルケア、ヤングケア、それぞれのケアラー支援もしたいけど
果たして人を支援するべきタイミングなのかということを今思っていて
私は働きたかったのか、そもそもって
そこに立ち返って自問自答しております。
他にもいろいろと仕事は請け負っておりますが
どれをとっても
皆、おなじよーーーーに(笑)
何かを生み出す、想像する豊かなエネルギーというよりも
お金という文字が先に来る印象で
仕事を頂いてきたけれども
そこに感謝はしつつも
ボーダーラインを考えて行かねばならない時期になってきたなと思っております
さあさあどうなるのか
ちょうど年末にかかってくるし
今年をスタートって思ってたけれど
仕切り直し!(笑)
今後の私に自分で期待している所です。
介護、子育て、なんでも
「言い訳にしかならない」と言われる方もいます。
あることが起こったら
それをどう対処してできるようになるか、なんだけれども
でも、それをどうこうしようと
何としてもやりたい、と思えるのは
自分に対してだけであって
祖母の介護をあきらめてでも祖母との距離を取ってでも
相手の仕事のサポートをしようとかは思えなかったです。私は。
だからきっと多くのママさんたちが
子どもを言い訳にすんな、と言われて働いてきたんだろうけれども
言い訳じゃないんだ。
一番大事なのが子供で
子どもには自分が一番だからそうするのである。
時間があるのに
勉強しないで、資格試験いつまでも受からない人とか
そういうのと
介護、子育てが原因であきらめざるを得なかった何か、を同じにしないでほしい。
(心のさけび)
言い訳はしない、と自己責任で生きていくのもかっこいいけど
「その時は」あきらめざるを得なかったことも
「時がきたら」できることもあるんだから
諦めざるを得なかった人間に
きつい言葉をかける側の人間にはぜったいならない、っと決めました。
だって、その人が一番悔しくって
自分じゃない他の誰かだったらどんなに楽だったろうと
身軽な、自分の事だけ考えて生きていけたらどんなに楽だろうと
何度も思い悩んで悲しんできたと思っているからです