母の事
今日は晴れて子供たちもお庭で遊んだりしていたので
少し時間があって
久しぶりにシフォンケーキを作りました。
写真を撮る前に食べられてしまい、写真がありません。(笑)
イメージ(笑)
母は、
にも少し書いたように
庭の草むしりや家のことを何もしたことなく22歳で結婚して父に嫁いだ人で
どこかいつまでも娘気質の人で
私や2歳上の姉に自宅の庭掃除をさせて
それを家の中から見ているような人でした。
自分が大学に行きたかったのに
明治生まれの曾祖母に
女が勉強なんかしても、と言われて
大学進学をあきらめて就職し、
そしてそこで出会った父と職場結婚し
姉、私、そして少し離れて弟の3人を育てました。
バブルの頃に子育て真っ最中で
父は夜中まで仕事だったのでほぼワンオペで子育てをしていたので
大変だった部分もあっただろうが
実際のところ、姉は優等生、私も優等生、(手のかからない2人)
弟は少し離れて生まれたのもあるし、男だからなのか
甘やかして育てた部分もあり
皆大人になってそれぞれちゃんと独立した生計をたてられているので
ある意味で子育ては成功と言っていいのかもしれない。
私が中学校の頃に
専業主婦だった母が弟がある程度大きくなったのもあり
働こうかなーと言っていて
そしてパートにでたころ
時を同じくして景気も悪くなっていて
父がリストラにあい、
それまである程度裕福なのかそれなりの生活ができていた我が家は一変しました。
父がだんだんおかしくなっていき
ついには家にずっといるようになって
母はそれに反比例するかのようにがむしゃらに働き、
専業主婦でのんびりしていた母が
なんだか潤いのない
とにかく余裕のない生活を強いられていきました。
私はそのころ高校~大学生で
どんどん時間にもお金にもゆとりがなくなっていく我が家にいて
日々の家事、弟の世話、
大学時代はパソコンも買ってもらえなかったから
大学でレポートを終わらせてそのまま駆け足でバイトに行ったり
とにかく
友人に恵まれて大学生らしいこともしながらも
心はなんかいっつも心配事だらけでした。
仕事してるかしてないかわからない父をもち、
母もきっと仕事がきつくてやめたいけど
経済的に絶対やめられないような状況で
どうしようもない思いを私に毎日毎日ぶつけてきて
私はどこか生真面目で
人の話をちゃんと聞くので
母の愚痴を毎日毎日きいて
知らぬ間にストレスがずーっとたまっていって行きました。
私の婦人科系のトラブルがずっとつづいていたのは
たぶんずーっと母の愚痴を聞き続けた結果のように思います。
社会人になり、
ずーっと家をでたかったのにタイミングを逃しながら
家にお金を入れる日々
そして
今となっては
何がきっかけか忘れたけど
突如私は行動にうつし
マンションを借りて家を出ました。
そして
いくつかの恋愛もして
父とうまくいかない人生だったから
男性運はほんとにわるくて (笑)
父に頼らない、男の人に頼る方法がわからない私は
何人の人から
「君はしっかりしてるから」と言われて私のもとを去っていかれたが
今の主人とは、
30までに結婚する、と自分に宣言して
出会いの場にどんどん行って
そこで出会って結婚しました。
このあたり、また大変だったけどこれはまた(笑)
母は私とはあんまり相性がいいと思ったことはないけど
私の子供たちは本当にかわいがってくれて
でも父とはもうかなり壊滅的な状況で
こどもが巣立って父と2人の生活になると
金銭的にはやっと少しマシになったけど
父といる意味がわからなくなりつつも
1人で楽しく生きていける人でもないので
相当な不満を毎日のように私にLINEしてきて
とうとう病気になってしまいました。
ガンだった。
しかも
もうすでに転移もしていました。
いつまで生きるかわからない状況で
昨年手術をして
その時私は母の入院の世話と子供たちの夏休みで
体力限界な時に
エアコン嫌いの祖母が熱中症になり入院して(笑)
2人入院してもういい加減にして、状態だった*1
これぞ、トリプルケア!!
8月の終わりには動機息切れがして
朝方息苦しくて目が覚めて
これはやばいと思って
昔からお世話になっている先生に診てもらうと
まぁ寝不足に過労といわれましたな(笑)
今母は抗がん剤がよく効いていて症状は小康状態だけども
いつどうなるかわからないという覚悟を
私は一度はしなければならず
母の
自分が一番大変
自分が一番忙しい
そんな言葉をシャワーのように浴びせられながら
母がかわいそうと思って色々と尽くしてきたけども
まだ60と少しでガンになってしまって
自分が2人の子供の母になった今振り返ると
親とはしつけやら教育やら
金銭的な援助やら
そういうの、というより
ただ、ただ、
楽しそうで
元気そうで
機嫌よくいてくれることが
こどもにとって一番いいのではないかと思うようになりました。
そして
母の人生には「自分」がどうするかがかなり空洞になっていて
人のせいにしたり
人に頼ったり
これはほんとに改めて思うけど
いつも何かに「怒って」いて
依存しないと生きていけない人生を
なんだか悲しく思う
だから、私自身は母のために〇〇をする、を
自分がどうするか、という方向にこれまたシフトして
母と自分との人生において
後悔ない日々を送ろうと
コロナが落ち着いた時期に温泉に連れて行ったり
食事に連れて行ったり
色んなことをしてきた。
だから、もう後悔はない。
そして今父と母は別居状態で
それにも
病気なのに、一人暮らしを強いられて!と
お父さんは私のことはどうなってもいいのよ!!と
また怒っていて
毎週末でも会いに来て
家のことを手伝ってほしい風に言ってきて
私がお世話するのが当たり前になっていて
たまに、イラっとすることを普通に言ってくる(笑)
でも私も
昔なら
そう「ぶつくさ」言う母が「ぶつくさ」言わないように
お気に召すままに何から何までやってたけど
それでも
「私のことを誰も心配してくれないのよ」と
忙しすぎて
髪の毛ぼさぼさでメイクもしわすれて駆けつけてる目の前の私に向って言うので
あぁ、来てほしいのは私じゃないんだなと
そう思ったりして
聞き流す技術も大事だなーと思ったりしています。
でも
根底は母に幸せでいてほしいこと
少しでも楽しい人生を送ってほしい事
みんなが仲良く生きる事
そう願ってるんだね、と
私自身の想いも
自覚して生きていられているので
でも、そうできないことだってあるよね、仕方なかったね、と
自分に言ってあげたりもしている今日この頃です。
ちなみに、
怒りとは二次感情なんだそうです。
きっと母は
自分を大切にしてほしい、という願いがかなわずに
悲しくていつも怒ってるのかもしれないです。
でもね、
一番に
自分を大切にすべきは母自身で
母のことを大切に思ってる私や家族(父はしらんが)
皆が心配してくれてることに気づいてないことが残念ですね。
こどもたちには
怒らずに
◎◎が悲しかったの、と
口にして言わせるようにしている
そうするだけで
自分自身が癒される事を
私は自分自身で気づいてきたから。
*1:´∀`