triplecare163の日記

祖母、母、そして2人の子供のケアをしています

祖母の事


私が生まれたとき、祖母は49歳だったので、

若いおばあちゃんだったと思います。

 

 

今の49歳なんてほんとに若い人が多いけど

祖母は当時からパンチパーマ風の天然パーマのショートカットで

当時から今と見た目が同じでした。

 

母はなんだか娘気質の人で

 

いつも祖母に頼りきりな感じで

 

60を過ぎて、私が子供を出産してやっと

私は母のことを母、と認識するようになってきたくらいなもんで

 

私にとって祖母が母、母は姉さんくらいの存在でした。

 

 

そんな祖母は祖父が60代で亡くなったので

まだ存命だった曾祖母(姑)と生活をしていて

 

曾祖母が老衰で100歳の誕生日目前で亡くなるまで

本当にお世話を頑張っていました。

 

80歳までお弁当屋さんでパートを続けて

 

退職してから

 

ずーっと張りつめていた糸がぷつんときれたかのように

 

突然様子がおかしい日があったり

 

物忘れがひどくなったり

 

夏なのにヒートテックを着ていたり

 

 

これはおかしい、ということがどんどん出てきました。

 

 

そして、、、

母は行動に移せない人で

もうそれなりの年だから、と病院にも連れて行かない。

 

ということで

私が脳神経外科に連れて行くと

 

複数脳梗塞が見つかりました、、、、、

 

小さなのからそれなりのものまで。

生命維持にはかかわらないから

どうにか生活はできていたようですが。

 

かといって治療法はないので

 

とにかくぼーっとする時間が少なくなるように

包括支援センターに私が電話して、

ケアマネさんに来てもらい、

 

半日のデイサービスに週に数日行けるようにしました。

 

ところが

 

毎日同じキャベツを買ってきたり(冷蔵庫にキャベツが5個入ってたりした)

 

習慣ってこわいもんで

 

同じスーパーでまーったく同じものを何回も買ってくるので

 

かつ、

 

あれだけ料理が好きでふるまうのも好きだった祖母が

 

調理をしなくなった。

 

いや、仕方がわからなくなった、が正しいかもしれないです。

 

 

正月のお雑煮や

お盆のタラの煮物

 

私が大好きだったものは

 

知らないうちにもう食べられなくなっていて

 

悲しくなったものです。

 

 

 

そんなこんなで

 

調理をしないのに

 

買い物だけはいかないと、と

いつもの癖が残っている祖母は

 

買い物買い物、と言っているけど

 

自分ではもういけなくなってしまったから

 

車で20分ほどの場所に住んでいる私が

 

週に数日行って

 

食材を買ってお昼を一緒に食べて

夕飯の支度をして帰る、という生活を数年続けていた。

 

 

 

まだ2歳くらいの子供を抱えながら

自分の家の家事

祖母の家の家事(週に3日ほどだが)をしていて

 

 

今思えば、

娘にきつく当たったりすることがあったように思う。

 

娘も娘で本当に大変で(これはまた後程)

 

 

お世話をする人間が増えれば増えるほど

 

自分は余裕を失う。

 

 

とりあえず洗濯も取り込むけどたたむ時間がなかったり

 

祖母の家の食事を作ってたら

 

自分の家族の食事が雑になったりで

 

 

 

本末転倒

 

 

 

 

そんなのはわかってるし

 

体はきつくなってたりするけど

 

 

最終的に行きつくのは

 

祖母から小さいころから受け取ってきた「愛情」だった

 

 

私や姉、弟への愛情が本当に深い人で

 

人を頼らずに生きてきた祖母だからこそ

 

今私が何とかしてあげたいという思いが私を動かしていた。

 

 

母は祖母とはよくケンカをして

 

相性みたいなのもあるようで

祖母は私に向けないような怖い顔を母にはしていたり

 

母も、何が目的かわからないけど

仕返しかのように何かができなくなってきた祖母を

認知症なのがわかってても受け入れられないのか

 

あれがだめ、これがダメ、そういうの口に出して言うもんだから

 

衝突を繰り返し

 

最終的には自分が責められたような気になったようで

ふてくされて帰って行ったり

ケアに回れないような状況になったりしていた

 

 

80歳で祖母が認知症になって

 

今年で5年。

 

その間、祖母は心臓の手術をしたり

 

先日なんて転倒してケガして入院したり

 

最近はやっと介護2に認定して頂き

デイサービスに5日行けるようになって安心していたら

 

母まで病気になったし

 

 

私も子供を2人産んで育てながらのこの5年

 

 

もう、、、(笑)

 

老けまくった(笑)

 

 

私は学生時代体育会系の部活をしていて体力本当にある人で

 

やらねばならないことは寝ずにもやるのに

 

 

こどもの夜泣きで夜寝ていないのに

祖母の介護をしていたら

 

 

疲れすぎて体調が悪い、という日が1年の中に何日あったことか(笑)

 

 

それでも

祖母は半分は認知症だけど

半分は私へのやさしさでできているので

 

 

ありがとうねーーとか

 

元気ねーーとか

 

 

時にはおいしい肉でも食べなさいとお小遣いくれたり

 

 

半分わかってるときの祖母の時は

 

私も子供時代に帰れるような気分で

 

遊びにいくといつもお小遣いくれておいしいものを食べさせてくれていた祖母との

 

暖かい思い出が私を守ってくれている

 

 

でもねー

 

ふ、と思うわけですよ

 

 

祖母の家の冬から夏にむけての

 

カーペットやらこたつの片付けやら

 

衣替えやら

 

 

そういうの自分の家をするだけでも疲れるのに

 

祖母の家のカーペットを数枚ランドリーで洗って干したり

 

 

その時間と体力が

他のことに使えたら

 

 

私もっとゆったりした生活なんじゃなかろうか、と。

 

 

20代を家の事に費やしてきた私が

 

また、(笑)

 

 

30代は祖母の介護に追われている(笑)

 

 

でも、私も母になり子を持つことで

 

 

更にパワーアップしており

そういうのでメンタルが落ち込まなくなっている!!

 

でも体力は落ちていて(笑)

 

 

今在宅で仕事もしていて

 

それを大きくしたい夢まででてきて!(笑)

 

 

 

 

それは今学んでいるコーチングがものすごく効いていて

 

 

 

昔だったら

 

 

親がお金がない、自分は家のために色々諦めるべきだ、の思考回路だったので

 

 

今そのままの私なら

 

 

こどもがいるし、祖母の介護もあるし、

だから今は無理すべきじゃない、それに集中しよう

 

 

という私が出来上がっていただろうに

 

 

私は〇〇がやりたい。

 

だからそれをまずスケジューリングして

次に子供の予定

 

そして祖母の介護

 

 

そして不足している、カバーすべきは〇〇だから

 

〇〇を頼もう

 

 

そうなった!(すごくない?(笑))

 

 

 

 

介護で、自分のやりたいことをあきらめたとか

 

こどもがいるから、諦めたとか

 

 

そういうのを

 

「自分は」ですが

 

 

言うのをやめたのです。

 

 

 

 

でもね、やっぱそのためには

 

 

私は、〇〇がやりたい

 

〇〇になりたい

 

 

 

それが必要なんです。

 

 

大きくなくていいけど

 

目標が必要なんです。

 

 

 

そう気づくまでに私は30と半分、、、(笑)

 

それでも早かったかもしれません。

 

 

 

だからそれを20代までに気づいて

 

 

「介護や誰かのケアをしてたとしても」

 

目標ある人生

 

 

 

だったらきっと心がわくわくしていると思うんです。

 

 

そんな何かができないか、

いや、自分にできるんじゃないか!!

 

そう思いを巡らせている所です^^