泣くくらいなら結婚なんて最初からやめときなさい
もうすぐお盆になりますが
認知症の家族を抱えているとあるあるなのかもしれませんが
コロナであろうと
時代が変化したであろうと
関係なく、
お盆の親戚中の集まりを開催しようとする(笑)
祖母は7人兄弟の長男に嫁いでしまったが最後
お盆、正月にはその一族20人以上が押し寄せて
わいわい食べ飲みしまくるのをとにかく朝早くから準備しなければならず
ビールは1ダース
寿司、鉢盛で5万は飛んで行っていたらしい
今はもう集まりもとても小さくなり
数人が仏壇にお参りにくるだけなんだけども
また何かしら食べさせなければ、の昔の記憶から解き放たれることがなく
ノイローゼのように
仕出し屋さんに数万円分の鉢盛を注文したり
懐石料理のお店を20人分で予約しておいたり
それを毎朝思い出したタイミングで
電話をかけていたり(同じところに同じように予約するらしい)
それを盆、正月の度に繰り返している、、、、
お店に大変な迷惑をかけてしまう為
先回りして
●●から電話があったら私に電話をください、数量の確認等いたしますから、と
電話をかけておくと
案の定電話がかかってきて
本当に申し訳ないけどキャンセルをしたり
はぁ、とため息がでますが
仕方のないことだ。
相手の立場で想像すると
暇だったお盆がなく
暇だった正月もなく
自分が招待客だったお盆がなく
自分がゆっくり座って食べられた正月もなく
とにかく大量の買い出しをしていた数十年を想うと
祖母の中ではイレギュラーな感じなのは「今」であり
なにもしないでいいと言われても
記憶がはっきりしている過去に
なんにもしなくていいと言ってもらった過去がなくって
それはそれは大変だったけど
大変ともいう暇もなかった日々が思い起こされ
苦労したねーと思いを馳せていた
そんな祖母が
とうとう今年
もう、盆にはなーーーんもしたくない、と初めて言った。
そういいながら
たぶんどこかに食べ物を注文かけてないか怪しいけどwww
そうよねーばあちゃん、今までほんとに大変だったんやもん、、、、
もういいんやない??
私がばあちゃんと私たちの分のお弁当でも注文しておくよー☺
そう言うとホッとしたような顔をしていた
認知症になる前に
祖母にはいろんなことから解放してあげたかったけど
(盆正月だけでなく、法事なども)
そうなってしまってもなお
過去に自分に課せられた
長男の嫁としての役割を
旦那をなくしても
姑をなくしても
ずーっと背負ってきて
その責任は
ある意味で祖母が自分がやるべき役割だと
役割を「課せられている」と
しっかりしとかないと、と
完全にボケてしまわない鍵のような最後の砦のような役割をしているかもしれないけど
私にはその重さは想像するしかなくって
私には代わりにはなれないことなのである。
そんななかで思い出すのが
泣くくらいなら結婚なんて最初からやめときなさい!!!、と
結婚を母から反対されて泣いていた私に
まだ元気いっぱいだった認知症になる前の祖母が
そう𠮟責してきた言葉が
今本当にしみてくる
覚悟がないと
人のせいにしたら
結婚生活なんて続かない。
自分が「その時」決めたからと
そう思って生きないと
祖母であれば
盆、正月の大勢おしよせてくる兄弟の世話や
様々な親戚づきあいの煩わしいことや
捨ててしまいたかったであろう重責も
なんで私がしなきゃいけないんだとか
自分はこんなことさせられてかわいそうだとか
そんな人生になっていたのかもしれない
そう思うと
責任感が強すぎて
自分がやらねばならぬと
覚悟をして生き続けてきた祖母のその人生の結果
お盆になったら鉢盛を誤発注してお店の方に迷惑をかけるのも
認知症だ、とあきれたり溜息がでたりしてるのは違うような気がしてきた。
「祖母の責任感」からの行動
そう思うと
若かったころの苦労していた祖母を想い
どれだけ大変だったかも想い
祖母の人生そのものさえも
ガンバったねーーーと
いろいろ有難うと
感謝の気持ちであふれかえってくるのだった。
(エアコンはつけてよね 怒 (笑))